英語講師の空き時間を活用するためにスタートさせた個人塾経営

「よく少子化って言われていますが、以前と比べてもこの地域ではそこまで変わらない気がいたします」
そう話すのは、トライプラス成増校のオーナーを務める富澤。
「周辺には小・中学校がたくさんありますし、近隣はマンションだらけ。駅前には競合となる塾が乱立していますが、どこもそれなりに生徒数を抱えているみたいです。東京都板橋区にあるトライプラス成増校は、池袋から電車で15分くらいの場所なんですけど、すぐ隣が埼玉県和光市ですので、そちらから通ってくれる生徒も多数います。少子化の影響についてはあまり気になりません」(富澤)
オーナーの富澤自身は、2012年に開校させたトライプラス成増校で教鞭をとることはありませんが、日本で最古のホテル専門学校として知られる「東京YMCA国際ホテル専門学校」で30年以上の講師歴を誇る大ベテランです。
「大学生の時にアメリカに留学していたんですが、卒業後、帰国しても就活のやり方があまりよく分からなかったので、少しの間好き勝手にぶらぶらしていたんです。その内YMCAで働く高校時代の英語の恩師に『一度あなたもYMCAに来てみなさい』って声をかけていただき、そのまま英語講師として就職したんです。今も、非常勤という形で週に1回だけ教えています」(富澤)
YMCAで富澤が働き出して10年あまり経った頃、夏休みや冬休みなどの長期休暇を何かに利用できないかと考えるようになりました。
「YMCAで英語を教えてきたなかで、自分にできることはないか探していたら、近所に10坪ほどの個別指導塾があったんですよ。塾経営なら空いた時間にできると思い、なんとなく話を聞きにいったら経営があまり順調じゃなかったらしくて……。『やりたいなら経営権を譲りたい』っていう話になって、興味を持ち、軽いノリでやってみようかな、と」(富澤)
理想の教育を目指して18年、妻からのひと言でFC加盟を検討

そうして、39歳でYMCAの講師と個人経営塾の塾長という二足のわらじ生活をスタートさせた富澤。塾経営の方は生徒をそのまま引き継いだこともあり、2対1や3対1といった従来の個別指導のスタイルを継承しました。生徒数も増え手狭になってきたため、教室も飲食店の二階から、より広い現在の位置に移転しました。しかし約5年が経過し経営に慣れてきた頃、塾ならではの難しさを感じるようになります。
「生徒たちは90分の授業を1週間に1度受けたところで、次に来る時には前回やったことなんてほとんど覚えてないんですよ。宿題すらやってこない生徒もいます。前回の復習から授業をスタートさせると30分くらいしか残っていなくて。なかなか思うようには進めなかったんです」(富澤)
塾経営者としての苦しい現実を目の当たりにし、授業スタイルを根本的に変えていく必要があると感じた富澤。自身の経験から1つの結論にたどり着きました。
「先生が一方的に教えるんじゃなく、生徒が自ら勉強できるスタイルを確立できたらな、と。私がアメリカの大学に通っていた時は授業が全部英語なので、授業についていけなくて、周りの友人以上にものすごく勉強をしました。留学もそうですが、受け身ではだめだと思うんです」(富澤)
そこで、生徒自らが勉強する自学自習のスタイルを取り入れることに。当時としてはまだ珍しかったプリントシステムを導入し、生徒に『自分が勉強すべきこと』を考えさせる指導を始めました。曜日・時間の制限もなくし、好きなだけ勉強して良いという環境を作りました。
「『勉強したいことを納得のいくまで、いくらでも勉強していいよ。難しいところは先生が教えてあげるよ』というスタイルに変えてみたんです。すると、生徒たちも与えられるものをただこなしていた頃と違って、自分のつまずきと真剣に向き合うようになりました。できることがどんどん増えていくことで、勉強の楽しさを感じられるようになり、教室に活気が生まれました。勉強に必要な練習量も考えるようになり、1日6~7時間勉強する生徒や、毎日塾に来る生徒が増えてきました」(富澤)
このように塾のシステムを試行錯誤しながら、18年に渡り二足のわらじ生活を続けてきた富澤。自学自習方式も途中までは好評でしたが、生徒の学力層によっては教室運営の難しい年度があったり、大手塾の参入によって集客で苦戦を強いられたりすることが増えてきました。休みはお盆や正月くらいというハードな生活にも体力的な限界を感じ、60歳を前にして一線から退くことを考えるようになります。
「60歳になったら塾の運営は教室長にぜんぶ任せて、私はのんびりFCのコーヒー喫茶でも営みたいなって考えていたんです。そう思って色々調べていたら、初期投資が何千万円もかかるんですよね。高額すぎて現実的ではないなって思って……。泣く泣く諦めることにしたんです」(富澤)
そんな富澤を見かねた、奥さんの放った一言が大きな転機となるのです。
塾のFCに加盟してみたら――?
「じつは女房はあるFCに加盟しているオーナーなんです。普段から、FCパッケージの内容をよく話してくれていました。FCに加盟すれば、また新たな教育法があるかもしれないし、集客も増えるかもしれないって思ったんです」(富澤)
開校初年は生徒が集まらず赤字経営……その理由とは?

コーヒー喫茶のオーナーを諦め、個人塾からFCの塾へ舵を切りなおした富澤。塾のFCを展開しているチェーンに問い合わせるなど情報収集をするなかで、自立学習を推奨しているトライプラスに出会うのです。
「4社ほどFC本部さんの話を聞きましたが、トライプラスだけは私が求めていた自学自習を含むスタイルだったんです。トライプラスの場合は60分の個別指導後、30分間の演習授業を取り入れているという話を聞き、まさしくイメージ通りだと思い加盟することにしたんです」(富澤)
そうして2012年7月7日、個人塾だった教室をリニューアルする形で開校したのが「トライプラス成増校」なのです。以前は教室運営と経営を兼務していた富澤でしたが、長く講師を務めていた教え子を教室長として運営全般を任せることに。
「それまで18年間も二足のわらじで働いていたので任せられるなら任せてゆっくりしたいな、と。そういう気持ちもあって開校から1年間は教室長に任せっきりにしてYMCAの方に専念しちゃったんですよ。そうしたら、FC加盟で変わるだろうと期待していた生徒数が、思った程までは伸びなくて……。融資を受けていたので、なんとか返済はできている状況でしたが、正直、数字としては真っ赤でしたね(笑)」(富澤)
その結果、FC加盟直後から任せきりにしてしまった教室を立て直すため、再度、富澤が教室運営に携わることに。開校から1年が経過した頃でした。
「面談や体験に10名来て10名が入塾したら万々歳ですが、そうはいかないんですよね。教務の部分は引き続き教室長に任せましたが、少しでも生徒を増やすために、入会面談を私が一緒にやることにしました。やはり、20代そこそこのまだ経験も浅い教室長が説明するより、年寄りの私がやった方が親御さんとしては安心感がありますよね」(富澤)
FC経営者としての役割を理解し、生徒数の昨対比が年々増加

富澤が入会面談に関わることで、窮地を脱していった「トライプラス成増校」。
「もちろん、受験が終わると辞めていく生徒も多くいますが、昨対比で言うと生徒数は年々増加していきましたね。教室長も経験を積んで日に日にたくましくなってきて、私が面談をする回数も減っていきました。去年は生徒数が65名でしたが、このままもっと増えていってほしいですね」(富澤)
通常、塾の集客といえば学校の校門前などでチラシ配りをしたり、折り込み広告を撒いたりすることが多いですが、トライプラス成増校では口コミでの集客がほとんどです。
「定期的に折り込みやポスティングはしますが、昨今ネットで情報を収集する時代なので、HPを充実させるのが大事だと思います。それができれば、生徒数80名以上も遠い未来ではないかな、と。誰もが一度は見たことがあるハイジを起用したCMなど、個人塾では到底マネできないトライグループのプロモーション力の賜物なんですけどね(笑)」(富澤)
そうして開校から6年経ったトライプラス成増校ですが、現在、オーナーである富澤が教室に足を運ぶ回数はかなり少なくなりました。
「私がいない間にもSVが訪問して教室長にいろいろアドバイスをしてくれますし、しっかりした運営マニュアルやサポートは、個人塾にはないフランチャイズの大きなメリットだと感じています」(富澤)
FC加盟1年目のオーナーとしての失敗を、二人三脚ならぬ三人四脚で乗り越えた富澤。大泉学園に新たな教室も開校することになりました。
個人塾の頃はうまくいかなかった自学自習ですが、自ら取り組む姿勢を目標に、『個別指導』と『演習授業』を組み合わせるというトライプラスのシステムに出会えたことで、自身が追い求めていた教育環境を構築できたという富澤。トライプラスのオーナーとして次への一歩を踏み出していきます。
※掲載情報は取材当時のものです。