大きなターニングポイントになった自動車メーカー×飲食店でのWワーク
「そもそも車が好きなんですよね。30年も40年も前の話ですが、当時はモータースポーツのひとつでもある『ジムカーナ』というのがはやっていて、広い駐車場などに作ったコースを車で走ってタイムを競っていましたね」(髙塚)
そんな髙塚が卒業後に選んだ最初のキャリアは、誰もが知る大手自動車メーカー。車好きの趣味を兼ねた職場でそれなりにやりがいを持って働くものの、ある日、毎日のルーティンに違和感を覚えはじめます。
そんなタイミングではじめたのが、友だちや知り合いが営む飲食店でのアルバイト。昼間は会社員として自動車メーカーに勤務しながらも、就業後に働くダブルワークスタイルでした。この経験が髙塚の人生にとって大きな転機になるとは知らずに……。
「毎日同じことを繰り返す自動車メーカーの仕事とは対照的に、客商売の飲食店は毎日いろいろな人と出会えるので飽きないんですよ。それがとても刺激的でした」(髙塚)
言うまでもなくハードな生活スタイルに体がむしばまれるどころか、新鮮な業務内容に次第にのめり込んでいったのです。そこで彼は一念発起(!)。なんと、15年以上も務めた自動車メーカーを退社し、飲食業界に身を置くことを決意したのです。当時、38歳の出来事でした。
そんな髙塚が選んだのは、飲食事業を手がける地元・静岡県の会社。そこで髙塚はラーメン屋の店長として第2のキャリアをスタートさせることになったのです。その後は、現場から本部に異動して店舗開発や商品開発を学ぶなど、飲食業界の“いろは”を叩き込まれます。しかし入社から10年後、当時48歳の髙塚にある考えが芽生えはじめます。それは、彼にとっても想定外の「独立」というものでした。
「もともと独立志向はなかったんですが、仕事を進めていく中で会社の方針や考え方にズレが生じてきたんですよね。そんな風に考えあぐねていたときに女房が、『だったら自分でやってみたら』と背中を押してくれたこともあって、独立に踏み切りました」(髙塚)
飲食以外の選択肢を求めてフランチャイズ加盟を検討
「前職時代、居酒屋や焼肉屋などさまざまな飲食店を経験しましたが、業態力が一番強いのは『ラーメン屋』だと感じたんですよね。たとえば居酒屋の場合は、天気によって客足に影響を及ぼしてしまいますが、日常食でもあるラーメンはそういうのがほとんどありません。そうなると、経営する側にとっては収益予測が立てやすいと目論んだんです」(髙塚)
そうして2012年、静岡市内にオリジナルのラーメン屋をオープン。数あるコンセプトの中でも髙塚が選んだのは、味噌に特化したラーメン屋でした。その後は順調に客足を伸ばし、翌年には同じ静岡市内に2店舗目となる豚骨専門のラーメン屋を、さらにその1年後には、豚骨醤油ベースのラーメン屋をオープンさせるなど、ラーメン屋経営者として着実に前に進んでいくことになるのです。
そして、独立から4年目となる2015年、4店舗目のラーメン屋をオープン……ではなく、新たな思考が髙塚の頭を巡りはじめます。それは、「飲食店以外の選択肢」でした。
「1年に1店舗ずつ増やしていく経営プランの中で、3年で3店舗のラーメン屋をオープンさせました。順調といえば順調かもしれませんが……、それまでの経験で飲食業界の慢性的な人材不足を痛感していたんです。また、3店舗すべてを静岡市内にオープンさせているので、4店舗目はバッティングしないように市外を検討しなければなりません。しかし、効率を考えると市外に出店するのは得策ではないと考えて、ラーメン屋以外にも目を向けはじめました」(髙塚)
しかし、当時50歳を超えた髙塚は、オリジナルで新たな業態にチャレンジすることのリスクを懸念。今まで自動車メーカーと飲食業界の経験しかない髙塚が最終的にくだした決断は、フランチャイズに加盟してノウハウを享受することだったのです。
「前職時代に事業部としてフランチャイズに加盟していたことから、フランチャイズというものがどういうものかを理解していたこともひとつの理由でした」(髙塚)
こうして、4店舗目の業態はフランチャイズ加盟に的を絞って検討していくことになったのです。
魅力を感じるもFC展開が間もないことに不安を覚え、フラチャイズ加盟を保留
独立した当初に立てた経営プラン通り、1年に1店舗ずつ増やしていった髙塚。4店舗目をフランチャイズ加盟で検討していたときに出会ったのが「ガッツレンタカー」でした。
「ラーメン屋を運営していく中で、切っても切り離せないのが人材不足です。新たな業種でオープンさせる際は、ここで苦労したくないと思っていました。幼児教育や介護系にも興味があって資料を請求するなどしましたが、どうしても雇用の面で不安を払拭することができなくて……。ワンオペ(一人で)で運営できる点でガッツレンタカーに興味を持ちはじめたんです」(髙塚)
しかし、髙塚が住む静岡県静岡市は、1人1台が車を所有する「車社会」の地域。彼自身も車を所有しているだけでなく、過去にレンタカーを利用したことがなかったのです。
「このエリアで本当にレンタカーの需要はあるのか……」
経営者として失敗したくないという強い思いから、自問自答を繰り返します。そんなときに行きついたのが、「時代の変化」だったのです。
「私が20代や30代の頃は、車がひとつのステイタスだったんですよね。ですので、それなりのお金をかけて車に乗る人も多かったんですが、今は “足”として車を所有する時代。もちろん、高級志向のユーザーがいる一方で、レンタカーとリースの中間くらいに位置する格安レンタカーの需要も必ずあると感じていました。そういった時代の移り変わりの中で、軽自動車をメインに展開するガッツレンタカーのビジネスが魅力的だったんです」(髙塚)
しかし、髙塚が加盟を検討していた2015年当時は、ガッツレンタカーの設立から1年ほど。さらに、フランチャイズ事業がスタートしたばかりということで、加盟には至らなかったのです。
「ほかの加盟店の成功事例がない状態で加盟を決定するのは、多少なりともリスクがあると思ったんです。また、今となってはガッツ石松さんのこの看板を見れば、レンタカーを連想するくらいには認知度も上がってきていますが、当時は、加盟店数がどういった形で推移していくのか見えない状況だったので、しばらくのあいだ様子をみさせてもらうことにしたんです」(髙塚)
エリア分け、加盟店数、物件etc.……すべての不安が払拭されて加盟を決意
フランチャイズ加盟がいったん保留になったことで、2015年の出店計画を足踏みせざるを得ない状況に……。とはいえ、ビジネス自体には魅力を感じていたことから、その後もガッツレンタカーの情報収集を続けていたといいます。
そして、ガッツレンタカーが順調に加盟店を増やしていくタイミングで、髙塚にとって大きなターニングポイントを迎えます。それは、保留にしてから半年後の出来事でした。
「実は出店可能なエリアも少し気になって保留にしていたところがありまして……。保留にした時点では、エリアが静岡市駿河区と“焼津市”だったんですが、焼津市ではなく“葵区”が希望。しかしその後『焼津インター店』がオープンするということで、エリア分けが駿河区と“葵区”に変更になったんです。懸念点が解消されたことでさらに気になる存在だったんですが、経営者という職業柄、日頃から物件を探すクセがあるんですよね。そうしたらある日、非常にベストな物件が飛び込んできて。自分はその瞬間、瞬間を大事にしているので、これはチャンスかな、と。」(髙塚)
この出来事をきっかけに、髙塚の加盟への熱が沸点に達します。その後、既にオープンしている「一宮店」と「名古屋中央店」、そしてガッツレンタカーFC本部が運営する「自動車整備工場」を見学。
「実際に看板の作りや店構えを見てみたら、飲食店と通づるところを感じたんですよね。飲食店では看板を重視するんですが、見学させていただいた店舗さんもドーンと勢いのある看板を構えていて、見た瞬間、『これはいい! いける!』と思いました」(髙塚)
懸念していた点がすべて解決された髙塚は、ガッツレンタカーのフランチャイズに加盟。そうして2016年4月、「ガッツレンタカー静岡店」をオープンさせるのです。
「経験がない分、オープンまでの間は不安でしたね。ですが、ラーメン屋にチラシを置いて周知していたこともあり、オープン時点で予約が14件。これは加盟店60店舗(2017年6月現在)の中でも過去最高という数字だったみたいです。しかも、1週間や1ヶ月などの長期利用のユーザーが多いだけでなく、その内の3〜4割は延長で利用していただいているので、思惑通りのワンオペが実現しています」(髙塚)
その後も順調に売り上げを伸ばした「ガッツレンタカー静岡店」。繁忙期でもある夏の勢いのまま秋、そして冬、春と好調をキープしました。
「これまでの1年間の売り上げは、オープン前に立てた収益シミュレーション通り。そういう意味では順調そのもの。むしろ、ここまでレンタルする為の車を増やす予定ではありませんでした」(髙塚)
目標は「ガッツレンタカー静岡店」を地域で1番のお店にすること。その為にもまずは、商品の価値を最大限まで高めていくことが必要不可欠。年式は決して新しくないかもしれませんが(店舗によって異なる)、いつもきれいで整備が行き届いた車を提供し続けることで、「レンタカー=ガッツレンタカー」と地域の人に思ってもらえる日もそう遠い未来ではないはずです。
※掲載情報は取材当時のものです。