誰かが独立させてくれる——漠然と独立を意識していた15年間
「20年近くサービス業を続けてこられたのも、自分の住んでいる地域で介護事業をはじめられたのも、食堂を営む父親の存在が大きいかもしれませんね。小さいながらも地元では繁盛している食堂だったこともあり、幼い頃から自慢の父親でした。そんな父親の背中を見て育ってきたので、『自分もいつかは独立したい』という意識が強かったんだと思います」(佐久間)
高校を卒業後、スーパーマーケットに就職した佐久間。7年のキャリアに別れを告げ、次のステップに選んだのは銀座に構える「おでん居酒屋」でした。
ピーク時は朝の6時や7時まで働いて、寝るのは8時ころ。お昼には起きて15時から16時には出勤するなど、昼夜逆転の生活を送ります。入社から2年目には店長に昇進。その後は、姉妹店を含めた2店舗のマネージャーに抜てきされるなど、順調にキャリアを積んでいったのです。
「とにかく一生懸命働いて実績を積んでいれば、誰かが独立という名のレールに乗せてくれると思っていました。お金は出してやるから自分の店を持たないか、と。しかし、そんな訳ないんですよね。言うまでもなく、手を差し伸べてくれる人はいませんでした……」(佐久間)
15年くらい前から漠然と起業を意識していた彼ですが、そんな時に相談を持ちかけるのは、ほかでもない父親でした。
「飲食時代も何度か相談しているんです。飲食で独立しようかなって。そんなとき父親は、何も言わずにジーっと目を見てくるんですよ。でも、そのプレッシャーに耐えられず、私が目を逸らしてしまって……。すると、父親がひと言『お前にはまだ時期尚早だ』と。もともと多くを語るタイプではないんですが、私がどれくらいの熱量で言っているのか分かるんでしょうね。当時の生半可な気持ちを見透かされていたんだと思います」(佐久間)
こうして4〜5回ほど独立の夢を突き返されてきた佐久間でしたが、遡ること3年、本格的に独立を考えるタイミングが訪れます。
飲食業の経験を生かして、介護事業での独立を意識
そんな佐久間に転機が訪れたのは、30代も半ばに差し迫った頃でした。当時、すでに2人の子どもの父親だった彼は、かねて自身にある大きな目標を課していたのです。
「子どもが7歳になるまでには、昼夜逆転の生活を元に戻そうと考えていました。7歳といえば小学校に入学する年齢です。運動会をはじめとしたイベントにも参加したい。廃品回収などの地域の行事にも顔を出せていなかったので、このままではいけない。ずっとそう考えていました」(佐久間)
さらに、子どもが成長するにつれて、自身の「背中」について考えるようになるのです。
「自分が父親に見せられてきたような背中を、現状子どもたちに見せられているのか。自問自答した結果、答えはノーだったんですよね……」(佐久間)
そこで、それまでは「誰かが手を差し伸べてくれる」と信じていた独立を、自分の手で掴みにいく決意をします。これまで15年以上も飲食業に携わってきた経験から、飲食店をオープンして独立。これが最初の選択肢でした。
「飲食業は5年で75%のお店が潰れる覚悟で飛び込まないといけない。今でもこの世界が好きですし、もしオープンさせても生き残っていく自信はあります。ただ、そのためには身を粉にして働かないといけない。自分が思い描いていた『背中』を見せられるかと言ったら、見せられないと思ったんです」(佐久間)
その後、フランチャイズでの独立を視野に、池袋で開催されたフランチャイズフェアに足を運びます。2年前にあたる2015年9月のことでした。
「実質、これが自分で独立を掴みにいった最初の1歩かもしれません。右も左も分からないので、片っ端からブースを訪れて話を聞きました。その中でも、利用者さんに食事を提供する『介護事業』であれば、今までの飲食経験が活かせると考えたんです。介護事業所の中では多くのサービスのひとつかもしれませんが、利用者さんの満足度の観点から考えたら大きなウェイトを占めるはずなので、必ず活きると思いました」(佐久間)
また、地域に貢献できる「介護事業」であれば、自身が2人の子どもに見せたい背中を見せることができる。そう確信するのです。
結果、5年後10年後のマーケットも踏まえ、独立のレールを介護事業、それも「地域密着型通所介護」「居宅支援事業所」「訪問介護事業所」に絞ります。その上で今度は、2016年3月に開催された「日経フランチャイズショー」に足を運んだ佐久間。そこではじめて、「ブルーミングケア」と出会うことになるのです。
加盟前に立ちはだかった2400万円という莫大な準備資金
「会場では、あらゆる介護系のブースで話を聞きました。『地域密着型通所介護』に至っては、どこのフランチャイズチェーンも利用者様のショートステイに対し、いかにフットワーク軽く対応できるかが重要である、と。もちろん、『ブルーミングケア』を運営する日本介護福祉グループ(現 株式会社ケアネーション)のブースでも同じことを言われました。この当時はまだブルーミングケアの事業はスタートしていません」(佐久間)
そんな中、彼がブルーミングケアに興味を示したのは、同じく日本介護福祉グループが運営する「茶話本舗」のオーナーさんが発したあるひと言がきっかけでした。
「とても話しやすい方だったので、『儲かってますか?』と単刀直入に聞いたんです。すると、繁盛しているオーナーさんにもかかわらず、『まったく儲かってない』とおっしゃって……。今までは良かったけど、このままではいけないというメッセージだったんです」(佐久間)
ほかの介護系ブースとは違い、3年に1度の法改正など、未来の見据え方に大きな違いを感じた佐久間。今度は、開発担当の方に話を伺いました。
「すると、茶話本舗ではなく、新たに『ブルーミングケア』というフランチャイズチェーンの展開を検討している。しかも、先ほどのオーナーさんがおっしゃった、法改正を含めたリスクにも対応できるような地域密着型通所介護である、と。そこで現状の反応を伺うと、茶話本舗と比較すると初期投資が大きいので、事業をスタートさせるかどうか様子を見ている状態と、正直に答えていただきました」(佐久間)
ある程度は納得したものの半信半疑だった佐久間は、自宅へ戻るなり自分で調べるなどして腹落ちさせていくのです。
「まず、東京近郊エリアには団塊世代の方が多く住み、地方で暮らす後期高齢者の両親を呼び込むケースも多い。高齢者率が上昇するにつれて、在宅率が上昇すると推測しました。東京近郊エリアには要介護者が急速に増えると考えた結果、『ブルーミングケアは、必ず世の中から必要とされるフランチャイズチェーンになる』と感じたんです」(佐久間)
そこで、ブルーミングケアの開発担当者にコンタクトを取り、事業所の見学を申し入れた佐久間。その時に見学したのは、2016年10月に開所を迎えた「千葉中央店」。彼が見学に行ったのは、開所から1ヶ月が過ぎた頃でした。
「見学したことで確信したんです。必ず世の中から必要とされる、と。長い間、飲食で働いていた経験から、お店に入ったらそこがいい空間かどうかが分かるんですよ。職業病みたいなもので、それが自然と身についていました。千葉中央店で見学をした時に、『良い事業所だな、いい雰囲気だな』と感じたんです」(佐久間)
そんな様子を察してか、見学をひと通り終えた佐久間に、ブルーミングケアの開発担当者がある言葉を投げかけるのです。
「どうですか。一緒にやりませんか?」
すでに土地を抑えているということで、千葉中央店の見学を終えて自宅に戻ると、その住所まで実際に行ってみることに……(!)。
「この時に『やろう』と決めました。あたりも暗くなっていましたし、その当時は建物も建っていないので何も分からなかったんですが、自分の足で行った時点で、もう『やる』と決まっていたのかもしれませんね」(佐久間)
加盟を決めたものの、佐久間にはある大きな懸念がありました。それは、資金の問題です。事前にブルーミングケアから入手していた加盟資料には、加盟する時点で1400万円、ランニングコストで1000万円と記されていたのです。
「飲食ならもっと抑えてスタートできるのに、ミニマムでこの金額。すごい世界だと再認識したと同時に、果たしてそんな金額を工面できるのか……。しかも準備資金は100万円。つまり、2000万円以上もの大金を用意しないといけない。ですが、世間的なセオリーでは、借り入れ額の3分の1は所有していないとダメで……」(佐久間)
絶望の淵に立たされた佐久間でしたが、自分の手で独立を掴みにいった時と同様、資金繰りに駆けずりまわります。すると、なんとかミニマムの2400万円を集めることに成功するのです。
加盟前後で180度変わった介護へのイメージ
資金が集まってからは、法人化や開所の準備に奔走します。その中でも苦戦したのは、入居者を獲得するための営業活動です。
「介護未経験ながらも、ちゃんと勉強していたつもりでした。しかし、『エアマットはありますか?』と聞かれた時にうまく答えられなくて……。専門用語が飛びかえば飛び交うほど『?』の連続でした」(佐久間)
こんな自分が悔しくてしかたない——満足のいく仕事ができていない自分に苛立ちながらも、分からないことは自分で調べたり、スタッフに聞いたりして猛勉強を重ねる日々。そんな中でも開所までのタイムリミットが刻々と迫ります。そうして、2017年5月に開所したのが「ブルーミングケア 三郷高州」なのです。
開所前に毎日営業活動をしたおかげで、開所から3ヶ月目の入所者数はほぼ想定通り。何より、実務を経験したことで苦手意識の強かった営業も自信を持てるようになりました。さらに、加盟の前後で抱いていた「介護」に対するイメージが180度変わったと言います。
「正直、加盟前は『汚い』『大変』『つらい』という印象を抱いていました。しかし、実際に実務を経験してみたら平気でしたね。ただ、私はそう思うかもしれないけど、働いているスタッフにも同じようにそう思ってもらわないといけない。たとえば、労働時間が長くてつらいと感じているスタッフがいるなら、時間を短くすることで解消してあげればいい。今はまだ分業という文化が根付いていないかもしれませんが、世の中には短時間の労働も少しずつ増えてきています。そして、将来的にはこういう働き方が当たり前になるはずなので——」(佐久間)
そんな佐久間が考える「いい介護」には、2つの定義があります。1つ目は、ケアマネージャーが立てたケアプランを従順にこなし、デイサービスとしての機能維持を向上すること。つまりは、利用者さんの認知の進行を防ぐことこそが、いい介護の1つと考えています。
そして2つ目は、利用者さんが喜んでくれるかどうか。ずっと飲食に携わっていた彼にとって、介護未経験ながらも活かせる部分であると強く感じています。
これらを事業所内で徹底することで、利用者さんも増えていくと確信している佐久間。いつか自分が見た父親の背中を、今度は自分が子どもたちに見せる番。2019年には2事業所目を、2020年には3事業所目を開所することを目標に、地域に貢献し続けます。
※掲載情報は取材当時のものです。