理想とする社会福祉とのギャップを感じたファーストキャリア
市川のファーストキャリアは、特別養護老人ホームでした。福祉系の大学に進学した彼は、将来的に「医療ソーシャルワーカー(Medical Social Worker:以下、MSW)」として働くことを視野に、特別養護老人ホームに就職します。
「大学在学中に、児童・障害者・高齢者のいる施設を研修や見学などで30箇所以上は訪れました。幼いころから祖父母のいる家庭で育ったこともありますが、その中でも1番ピンときたのが高齢者の施設。MSWとして働くためにも、まずは現場を知りたいという思いで特別養護老人ホームに就職することにしました」(市川)
利用者の送迎や健康管理チェックのサポートなど、デイサービスの職員として従事したのち、「在宅介護支援センター」に配置転換。ボランティアや自治会と連携するなどし、地域の高齢者をサポートしてきました。
そんな彼に転機が訪れたのは、入社から3年が経ったころ。近所の病院が新たにMSWを配置するということで、市川に声がかかったのです。そうして、兼ねて憧れだったMSWに転身。しかし、当時はまだMSWがメジャーな職業ではなかったことから、理想と現実のギャップが彼を悩ませることになるのです。
「病院としては、入院患者さんが自宅での療養や通院で十分と判断したら、次の入院患者さんを受け入れるためにもどんどん退院してもらわないといけない。しかし、MSWにとってはそこがゴールではありません。入院したことで生じる患者さんの不安などを減らしたり取り除いたり。退院後、心理的にも社会的にも自立した生活を送れるようにするのがMSWの役割なのです」(市川)
MSWとして患者さんの役に立てているのだろうか——そんな葛藤と闘いながらも、「病院とはこういう場所なのだ」と言い聞かせることで、無理やり自身を納得させていたという市川。
「例えば、退院しても家族がいて金銭的に余裕のある方であれば、病院の意向通り、または意向以上にどんどん退院してもらう。ただ、一人暮らしの方や、家族との関係性が良好でない方の場合は、少しでも入院期間を延ばすように病院側に依頼。その間に自治体の制度などを駆使し、退院後も安心して生活できる基盤を整えていました」(市川)
少しでも多くの地域社会の方に目を向けるために独立を決意
MSWとしてのキャリアを積み重ねていった市川でしたが、病院という限られたコミュニティーだけではなく、病院の外にも次第に目を向けはじめるようになるのです。
「病院で働いているころは、MSWとして地域の人を対象にした活動をする時間が確保できていませんでした。しかし、当時はそれを実現するための経済的な流れがありません。病院や支援センターなどに所属して毎月の給料を確保しながら、個人的に地域にも目を向ける必要があったのです。つまり、経済的に独立さえすれば、地域にも目を向けることができる。そこで、独立して自分で事業を起こそうという思いが芽生えました」(市川)
これまでの経歴を生かし、「介護ヘルパー」や「デイサービス」での独立を検討した市川。しかし、時間と資金を理由に「現実的ではない」という結論に至るのです。
「介護ヘルパーは、採算ベースに乗せるのに莫大な時間がかかるので経済的な負担が大きい。一方のデイサービスは、採算ベースに乗せるのはそう時間はかからない。しかし、初期投資が莫大すぎるので実現できなかったんです」(市川)
行く手を阻まれた市川が次に考えたのは、「配食サービス」での独立でした。配食サービスであれば自分の思いを叶えられると同時に、病院でMSWとして働いていたころに抱いていた問題点を解決できると考えたのです。
「一人暮らしの高齢者が1週間くらいで元気になって退院していく。しかし、1ヶ月や2ヶ月経ったらまた入院してくるんです。入院して食事などをすべて管理してもらえれば体調がすぐに回復する。つまり、食を通して一人暮らしの高齢者の生活を安定させることができる、と」(市川)
そこで、オリジナルの事業で配食サービスを展開しようと考えた市川でしたが、あることを理由にフランチャイズでの事業立ち上げに絞ることになるのです。
「これまで携わってきた福祉の経験を最大限に生かしたい。そのためにも、食材の仕入れから栄養バランスを考慮した献立づくりや顧客管理の部分をフランチャイズのシステムに任せ、自分はお客さんに目を向ける。本職ではない作業を自分でやろうとしたら、結局思うようにお客さんのほうを向くことはできない、と」(市川)
そこで、高齢者向けの配食サービスを手がけるフランチャイズ本部3社から資料を請求。そのうちの2社で試食をした結果、「おいしくて値段が安い」宅配クック123に加盟することにしたのです。
オープンから3ヶ月で3000食に到達するも、その後に立ちはだかった大きすぎる壁
2007年9月、市川にとって1号店となる「宅配クック123 奈良店」がオープン。調理から宅配までを市川ひとりで奮闘していましたが、オープンからわずか2週間でスタッフを雇用しなければならなくなるほど多忙を極めることに……。
「加盟する前から集客には絶対の自信を持っていたんです。地域の方から必要とされているサービスであることは大前提ですが、それまで培ってきた人脈を生かせば必ず売り上げを伸ばせるはずだ、と。案の定、オープンしてすぐに忙しくさせてもらって、すぐに調理スタッフを雇用しました」(市川)
市川の自信が確信に変わるほど売り上げは伸び続け、オープンから3ヶ月で月間3000食を達成。売り上げにすると、およそ150万円という金額です。そして、加盟する以前には想像もしていなかった、事業に対するズレを感じたといいます。
「もちろん、いい意味のズレですよ(笑)。配食することで単純に栄養管理ができるとは思っていましたが、想像以上にお客さんとの距離が近く、人と人との関わりがある事業だと感じました」(市川)
そんな市川は、お客様との関わりをさらに深めるため、宅配の際にお渡しするメニュー表に自作のエッセイを執筆することに。すると、深い関係性を築けるだけでなく、お客様の細かい変化にも気付けるようになったのです。
「宅配した時の話のネタになると思ってはじめました。会話が増えることはもちろんですが、それによりお客さんの情報が入ってきます。それが蓄積されてからは、以前よりも歩く時にふらつきが多くなっているなど、お客さんの細かい変化にも気付けるようになりました。結果、重大事故につながる前に遠く離れた親族の方にご報告できるんです。配食サービスの枠を超えたお手伝いができているという意味でも、MSWとしての役割を担っているという自負を持って仕事をさせてもらっています」(市川)
順調に事業を走らせていた市川でしたが、オープンから1年が経ったころ、突然、配食数が頭打ちになったことで大きな不安を抱えるようになるのです。
「人脈を生かしてなんとか月間4500食まで到達したんですが、そこから全然伸びなくて……。そんな時に頼りになるのがフランチャイズでした。私が調理に入っていたところに新たにスタッフを採用して配置することで、営業に回す時間を増やすようにアドバイスをいただいたんです。宅配クック123は全国に300店舗以上も展開しているので、各店舗の成功例や失敗例などを踏まえてアドバイスいただけるのはありがたいですね」(市川)
多店舗展開により、想像もしていなかった「課題の波」が押し寄せる
そうして危機的状況を脱した市川は、2010年の法人化を経て2014年3月、2号店となる「宅配クック123 豊中店」をオープンさせます。しかし、2号店のオープン早々多他店舗展開のオーナーゆえの「課題の波」が押し寄せてくるのです。
「奈良店と豊中店の距離は車で1時間ほど。1店舗の時とは違い、常に私の目の届く範囲で仕事をしてもらっているわけではありません。そういう状況で指示を出しても、熱量が100パーセント伝わらなくて……。特に、新しくオープンした豊中店のスタッフからしたら、私の思いなんて『なんのこっちゃ?』ですよね(笑)。今でも勉強中なんですが、ただひとつ言えることは、どんな時でもお客さんのことを忘れないことが大事だな、と」(市川)
2号店のオープンから2年が経過したころ、エリアを拡大する形で吹田市内にも配食をスタート。順調に事業を拡大させている市川ですが、当初は予想もしなかった新たなフェーズに突入しているといいます。
「エリアが拡大しただけなので、2号店がオープンした時よりも大きな負担はありません。が、それでもやはり、自分と一緒にスクラムを組めるスタッフを増やすことは重要かな、と。自分が思いを持って事業を展開しているのはもちろんですが、スタッフたちもそれぞれ思いを持って働いてくれています。その思いを集約させることで、私ひとりでは実現できないようなお店作りをしていく必要があると感じています」(市川)
2007年9月に1号店となる「宅配クック123 奈良店」がオープンしてから怒とうの10年が過ぎた現在、2店舗3エリアで月間2万食を配食するまでになりました。時にはつまずいたり悩んだりすることもありますが、それを支えてくれているのはお客様の存在です。
「宅配した時に言っていただく『いつもありがとう』というお言葉ももちろん嬉しいんですが、困っている時に頼っていただけると本当に嬉しくて。この間なんか、私の顔を見るなり『待っててん!』とおっしゃるので、どうしたのかと思ったら『ペットボトルのふた開けて』ってお願いされたんです(笑)。もう本当に嬉しくて……。あとは、スタッフたちにも支えられていますね。みんな仕事をしながら『楽しい』『おもしろい』って言ってくれるんですよ」(市川)
2018年4月には、「宅配クック123」に加盟する以前に選択肢のひとつに挙がった『リハビリ型デイサービス』の開所を予定している市川。その後も、認知症型のデイサービスをオープンさせたり、家庭版のクリーニング事業を展開したり……彼の思いが尽きることはありません。MSWという自負を持って、生活上で支援や介助を必要としている方たちが安心して暮らせる社会を作るためにこれからも走り続けます。
※掲載情報は取材当時のものです。