自身が障害者になった経験が障害者グループホーム「わおん」参画のきっかけに
「ちょうど10年くらい前ですかね。44歳のときに脳出血で左半身が麻痺の状態になったんです。朝、目覚めたらベッドから落ちそうになって。『おかしいな』って思ったら左手と左足が動かないんですよ。なんとか救急車を呼んで一命をとりとめたんですが、それからは体が動かないので一人でお風呂にも入ることができませんでした。障害支援区分でいうと一番重い『区分6』と診断され、変な話、糞尿も垂れ流しなので紙おむつをしているような状態でしたね。でも、この経験が『わおん』の参画に大きく影響しているんです」(小山オーナー)
そう語るのは、茨城県阿見町と土浦市でペット共生型のグループホーム「わおん」を4施設運営している一般社団法人 配慮者支援協会の理事長である小山オーナー。じつは「わおん」に参画するまでは、建設不動産関係の営業として30年以上のキャリアを積んでいました。
「高校を卒業してから地元の長野の建設会社で、現場監督兼建設作業員として働いていました。その後は大和ハウスで営業兼建築士として10年ほどキャリアを積み、住友不動産に転職しました。
そんななか食生活が乱れて105キロまで体重が増えて、血圧が高くなってしまって……。薬を飲めといわれていましたが、ずっと野球をやってきたから大丈夫だろうとあまり問題視してなかったんです。その結果、脳出血を起こして左半身が完全に麻痺することになりました……」(小山オーナー)
その後は、車椅子での生活を余儀なくされた小山オーナー。しかし、およそ1年にもおよぶリハビリの甲斐もあって通常の生活ができるくらいに回復したと振り返ります。
「1年くらいで体はだいぶ動くようになってきたんですが、冷たいとか熱いとかの感覚はなかなか戻らなくて……。熱いものでも持てちゃうから火傷しちゃうんです。でも、それも3年くらい経ったら少しずつ戻ってきましたね。今も痺れなどは少しだけありますが、普通に生活できて普通に働けるようになりました。ゴルフも野球もできますし、なんでもできるように回復したので良かったなって思いますね」(小山オーナー)
障害者になって一変した生活。今までできていたことが、自分ひとりではできなくなったこの時の経験が、のちに小山オーナーが福祉事業の道を歩むきっかけとなったのです。
自分でグループホームをつくって、障害者に住む場所を提供したい
「不動産会社時代に建物をいくつも設計したんですけど、当然、車椅子の方の利便性も考えて設計していました。でも、健常者の目線で設計しているので、実際に自分が障害者になって改めてそこを訪れてみたら、車椅子ではうまく身動きが取れませんでした」(小山オーナー)
自身が障害者になったことで、障害者の生きづらさを身を持って体感した小山オーナー。その後リハビリを経て、不動産業界でキャリアを歩んでいた彼ですが、そこで障害者にも通ずるある不動産業界の社会的な課題を目の当たりにするのです。
「住友不動産を退職してから、また別の不動産会社で取締役として働いていたときに、75歳くらいの高齢者の方が『アパートを借りたい』って訪ねてきたんです。仕事もしていて元気な方だったんですけど、どの大家さんも貸してくれないんです。40件くらい断られましたね」(小山オーナー)
70代とはいえ、元気ハツラツと生活している高齢者もたくさんいらっしゃいます。では、なぜどの大家もアパートを貸したがらなかったのでしょうか。
「75歳と高齢で身寄りがいない方だったんです。大家さんとしては『アパートで亡くなったら』と考えて貸したがらないんです。最終的には同じ高齢の方が大家をしているアパートを借りられたんですけど、高齢者に限らず障害者の場合も同様に誰も貸したがらないんです」(小山オーナー)
高齢者や障害者になると、アパートすら思うように借りられない──そんな状況に直面した小山オーナー。自身が障害者だった経験などとも相まって、ある大きな決断をくだすことになります。
「住む場所すらも借りられない世の中じゃダメだなって。それなら、自分で会社を立ち上げて、高齢者や障害者などの要配慮者はもちろん、シングルマザーやシングルファザーなど、なにかしらの問題を抱えている方に住む場所を提供しようと考えたんです。そこで、『配慮者支援協会』という名前で社団法人を立ち上げました」(小山オーナー)
そうして新たな一歩を踏み出した小山オーナー。高齢者や障害者、シングルマザー、シングルファザーなど、コンセプトごとの施設やグループホームを立ち上げようと動きはじめていた彼に大きな転機が訪れます。
未経験の福祉事業をスピーディに展開するために「わおん」に参画
「自分でグループホームを立ち上げようといろいろ調べていたときに、たまたま障害者グループホーム『わおん』のレベニューシェアのことを知ったんです。不動産の経験はありますが、グループホームの経験や知識は一切ありませんからね。当初はオリジナルでやろうと考えていましたが、無知で飛び込むよりはプロからノウハウを享受したほうが最短ルートになると思い、まずは話を聞いておくべきだなと、すぐに問い合わせをしました」(小山オーナー)
その後2020年1月に、千葉県八千代市にある直営施設を訪れた小山オーナー。即決で「わおん」のレベニューシェアへの参画を決意するのです。
「いろいろ調べてたら、介護サービス関係の事業は総量規制といって一定の施設数を超えたら新規開設できないことがあるんです。でも、障害者グループホームはまだその規制がかかっていない。とはいえ、他の過去の事例を見ていると、5~6年もしたら総量規制の対象になるので、規制がかかる前にスピーディに事業を拡大する必要性を感じたのも『わおん』に参画を決めた理由です」(小山オーナー)
そうして2020年7月に1施設目となる「わおん」を茨城県阿見町に開所した小山オーナー。その後、みずから営業はもちろん障害者グループホームの現場に入って実務をこなしていたと振り返ります。
「グループホームの経営経験がないので、まずは現場を知るためにも最初の2〜3ヶ月は特に積極的にシフトに入るようにしました。開所した7月は月の半分は現場に入って、入居者さんにご飯を作ってお出しするなどしていましたよ」(小山オーナー)
「わおん」に限らず、現場に入らないというオーナーも少なくありません。そんななか、積極的に現場に入ってスタッフとともに実務を行なっていたのには、小山オーナーなりの考えがありました。
「障害者グループホームって、毎日何かしらの事件が起こるんです。たとえば、入居者の方がケガをしてしまったときに病院に連れていくこと1つにしても、誰が連れていき、誰がお金を立て替えるのかなど、こういったことは現場スタッフだけでは判断ができないことも少なくありません。
お金に関してはスタッフが自腹で立て替えたりもするんですが、現場のストレスというか不満が募っていくとスタッフが辞めていきますよね。オーナーも現場の内情を知らないと的確な指示ができませんし、そういった問題を把握するためにも現場に入るようにしていました」(小山オーナー)
配慮者支援の実現に向け、30施設以上を視野に入れて拡大中
2020年7月に1号棟の障害者グループホーム「トールンキャッスル(トールン:茨+キャッスル:城=トールンキャッスル:茨城)」」を開所すると、その後は8月、9月、11月と立て続けに3施設をオープン。2020年12月時点では4施設の「トールンキャッスル」を運営しています。
「トールンキャッスルの4施設以外にも、実はオリジナルの事業として訪問看護ステーションを9月に開所しています。訪問看護ステーションを開設するには看護師を3人雇う必要があるなどといった条件がさまざまありますが、グループホームの入居者にとっては確実に必要なものだと考えました。なので『トールンキャッスル』との両輪でまわしていこうと、思い切って訪問看護ステーションを開設しました」(小山オーナー)
事業をスタートしてからスピーディに拡大を続ける小山オーナー。その裏には、彼の右腕となる小林副理事長の活躍なしには実現しなかったといいます。
「小林副理事長が阿見町出身で、1号棟を阿見町に開所できたのも彼女のおかげなんです。というのも、小林副理事長の父親が阿見町で事業をやっていることもあり、役場の方とも人脈がつながっていて。『ここの課のこの方と会いたい』といったらどうにかしてくれました。それ以外にも、小林副理事長はファイナンシャルプランナーでもあるので、入居者の方のライフスタイルをサポートできるんです。入居者さまの相続やご両親からの遺言相談など、他のグループホームとの差別化にもつながるので本当に助かってますね」(小山オーナー)
さらに直近では「トールンキャッスル」の5号棟と6号棟、そして7号棟のオープンを控えているといいます。
「ドミナント展開を考えていて、5号棟は茨城県の土浦市、6号棟は阿見町、7号棟はつくば市ですが、どこもそこまで遠くはない場所です。こういった障害者グループホームは需要の割に施設数がまったく足りていないので、ドミナントでスピーディに施設数を増やし、より認知度を高めていければと考えています。この辺のエリアは特にオーナー同士の横のつながりもありますし、わおんでは全国のオーナーが集まる会議もありますので、情報交換をしながらステップアップしていきたいですね」(小山オーナー)
最終的には「トールンキャッスル」を30施設近くまで拡大する見込みで、障害者グループホーム以外にも高齢者やシングルマザーなど配慮者向けの事業展開も検討しているという小山オーナー。自身の経験から障害者に寄り添い、現場も知る小山オーナーなら、小林副理事長とともにすぐ実現できるでしょう。
※掲載情報は取材当時のものです。