セブン-イレブン南青山5丁目店オーナー・加藤智彦/邦子
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セブンで知った仕事の楽しみと奥深さ! 複数店を目指して親子で歩むコンビニ経営

大学を中退してコンビニオーナーという道を選んだ「セブン-イレブン南青山5丁目店」のオーナー・加藤智彦。オープン当時、24歳の彼がなぜセブン-イレブンで開業する道を選択したのか。また、母子家庭でありながら、それを許容した履行補助者である母親 邦子の葛藤や不安、現在にいたるまでの気持ちの変化などをお話しします。

はじめて入った「夜勤」で仕事に対する考え方が180度変化

事務所で話すセブン‐イレブン 南青山5丁目店の加藤智彦オーナー
高校時代に近所のセブン‐イレブンでアルバイトを始めたことが、今につながっていると語る「セブン‐イレブン 南青山5丁目店」の智彦オーナー

(智彦オーナー)「スタッフそれぞれに働く楽しみを見つけてほしいですね。僕たちがああだこうだ言ってしまっては、働いていてもおもしろくないでしょうし。僕自身、セブン-イレブンのアルバイト時代にやりがいを感じてのめり込んだように、自店のスタッフにもそれを感じてもらいたいです。だって、コンビニで働くってめっちゃ楽しいですから」

少年のようにあどけなく、屈託のない笑顔を見せたと思えば、同世代はもちろん、ベテランオーナーも顔負けの真剣な表情で語る「セブン-イレブン南青山5丁目店」オーナーの智彦。母親の邦子とともに、この地に開業して1年足らずの新米オーナーです。

現在、25歳の智彦がセブン-イレブンのオーナーという道を選んだきっかけは、彼の高校時代までさかのぼります。

(智彦オーナー)「高校3年生のときに大学の推薦が決まって、時間もあるのでバイトをしようかな、と。近所のセブン-イレブンでアルバイトを募集していたので、それに応募したのがはじまりです」

なんとなくはじめたアルバイトゆえ、当時は “小遣い稼ぎ”程度にしか考えていなかった智彦。そんな彼に大きな転機が訪れます。それは、大学に進学してから経験した「夜勤」でした。

(智彦オーナー)「大学1年生のときは学校が忙しくて週に1回しかシフトに入れなかったので、仕事内容といったら誰でもできるレジやちょっとした品出しくらい。2年生の夏休みくらいに夜勤に入りはじめると、品出しだけでなく、それまでの比じゃないくらい仕事がいっぱいあって。終わったあとの達成感はもちろんですが、その忙しさがすごい楽しかったんですよね。夜勤を経験したことをきっかけに、仕事に対する考え方が180度変わりました」

仕事量が増えることに嫌気がさすどころか、効率的かつ、最大限のパフォーマンスを発揮するにはどうするべきか試行錯誤をすることで、セブン-イレブンのアルバイトに大きなやりがいを見出した智彦。それは、弱冠20歳の智彦が大人としての第一歩を踏みはじめたことを意味するのかもしれません。事実、当時のことを履行補助者でもあり、母親でもある邦子はこう振り返ります。

(邦子マネージャー)「正直、はじめての夜勤のときは朝まで寝れないくらい心配でした。智彦に何かあったらどうしようって(笑)。でも、夜勤をはじめてから特にそうなんですが、自分で起きてアルバイトに出かけるなど、以前よりもしっかりしはじめたんですよね。お小遣いではなく、給料をもらったというのもあるんでしょうけど、アルバイトが楽しかったんでしょうね。いつまでも子どもだと思っていたのに、世間を知る入口に立ったのかな、と。親ならみんなそうだと思いますが、息子のそういう姿を見れて本当に嬉しかったですね」

(智彦オーナー)「寝れなかったのは初耳ですね(笑)。ほんと、忙しいけど楽しいことのほうが圧倒的に多いんですよ。もちろん、怒られたり、辛いことや悔しい経験をすることもありました。一回、同じアルバイトスタッフと意見が衝突して裏で泣いたことがあって、その時は本当に悔しくて……。絶対できるようになってやろうと思いましたね。これは、今日はじめてカミングアウトしたかもですね(笑)」

大学よりもセブンの仕事がおもしろい! のめり込んだ末に中退を選択

オーナーの手帳
智彦オーナーの宝物だという手帳。派遣スタッフ時代の勤務スケジュールが書き記されており、当時はセブン‐イレブン開業を目指して1年で96もの店舗で経験を積んだという

セブン-イレブンで働くことにのめり込む一方で、本業であるはずの勉学に支障をきたしていた智彦……。しかしそれは、彼にとって決してネガティブなことではありませんでした。

(智彦オーナー)「勉強が好きじゃなかったというのもあるんですが、アルバイトをしているほうが充実していたので、学校に行かなくなっちゃったんですよ(笑)。ちょうど夏休みが終わるころ、オーナー承認のもと本部の方に従業員独立支援制度(※参照)について教えてもらって。『セブン-イレブンのオーナーとして生きていく選択肢もありだな』って思っちゃって。夏休みが終わるころに休学することにしたんです」

学校に行かなくなってしまった息子を不安視する邦子を尻目に、将来の夢として「セブン-イレブンのオーナー」を視野に入れはじめた智彦。この時点では、邦子自身、息子の履行補助者になるとは予想もしていません。

その後は、就職活動に精を出す同級生のアルバイトスタッフを意に介さず、シフトに空いた穴を埋めるために週6日ほども勤務していた智彦。それは、大学復学への道が遠のくことも意味しています。

(邦子マネージャー)「最終的には大学を辞めたいって言い出したんですよ。アルバイトが楽しいから辞めたいって言われても、親からしたらすんなり納得できるわけもなく……。少し待てば気持ちが変わるんじゃないかとも思ったんですが、『何を言われても辞めるから!』って聞く耳を持たなかったですし、やりたいことがあるということだったので、2年生が終わった時点で辞めさせることにしたんです」

大学を退学したらすぐにフランチャイズ加盟……ではなく、ここからが智彦にとっての学びのとき。大学でこそ学ぶことを中断した彼でしたが、セブン-イレブンのオーナーになることへの思いは大学でのそれとは比べ物になりません。そこで、智彦はある決断を下すのです。

(智彦オーナー)「高校生のころから勤めてもう5年も経っていたので、オーナーになるならほかの店舗のことも知りたいな、と。2016年4月にコンビニをメインに展開する派遣会社に登録し、都内のあらゆるセブン-イレブンで働きまくりました(笑)」

もともと働いていた埼玉のセブン-イレブンでも働きつつ、派遣としても働く。いわゆる「ダブルワーク」です。なんと、加盟までの1年間で彼が派遣として働いたセブン-イレブンの数は90店舗以上。この経験が、接客はもちろん店舗のレイアウトからレジまわりの作り込みまで、現在のオーナー業に役に立っているのは言うまでもありません。

※従業員独立支援制度……セブン‐イレブン加盟店様において通算3年以上勤務経験のある方の独立を支援する制度(※勤務状況により、条件あり)

息子の夢を自身が理解しないままに否定はできないと、行動に移した母

笑顔で語る加藤智彦オーナーと邦子マネージャー
自身がセブン‐イレブンで働き始めたきっかけを振り返る邦子マネージャー(右)

セブン-イレブンのフランチャイズは、夫婦、または親子や兄弟、姉妹などの親族での加盟が絶対条件。智彦ひとりでは加盟することはできず、ターゲットとなったのが母親の邦子だったのです。

(智彦オーナー)「セブン-イレブンでアルバイト経験のある従兄弟(いとこ)との加盟も検討したんですが、加盟金のこととか、いろいろ考えたらやっぱり親子経営のほうが何かとラクだな、と」

その当時、専業主婦として家事に精を出していた邦子にとっては、まさに寝耳に水のできごとでした。しかしそんな思いもつかの間、履行補助者として智彦をサポートする道を選択するのです。そこには、母親としてのある思いがありました。

(邦子マネージャー)「最初はびっくりしましたけど、大学も辞めちゃってますし、何より一人っ子ですし。息子が楽しく働いているのを隣で見ていたので、母親として応援してあげたかったんですよね……。でも正直、私自身がコンビニの仕事を何も知らないですし、知らないまま肯定するのも否定するのもちょっと違うな、と。まずは、セブン-イレブンがどういうところかを知るためにも、2014年の冬からパートとして週に3日だけ、朝の6時から9時の時間帯で働くことにしたんです」

それまで10年以上にわたり主婦として家庭に尽くしてきた邦子にとって、セブン-イレブンでのパート経験は新鮮そのもの。智彦同様、瞬く間にのめり込んでいくのです。

(邦子マネージャー)「普通の主婦が誰かの役に立っていることが嬉しかったですね。でも、覚えることもたくさんあって……。自宅に帰ってから息子に聞いたりしていたら、それはそれで楽しくて(笑)。勤務日数を重ねるたびにできる業務も増えたり、ときには店長に褒めてもらったり。息子がアルバイトを楽しんでいるのはこういうことかって、妙に納得しちゃったんです。やっぱりこういうところが親子なんですよね(笑)」

そうして、セブン-イレブンのパートにやりがいを感じていった邦子。勤務日数や勤務時間が少しずつ増えるとともに、智彦と一緒にコンビニ経営をしていく覚悟を固めていくのです。

(邦子マネージャー)「息子と一緒にセブン-イレブンのオーナー、履行補助者としてやっていけるのもいい人生だなって。そのころには嬉しくてまわりのスタッフさんとかにも『息子と一緒にセブン-イレブンのフランチャイズに加盟するんです』って言ってましたね(笑)」

ビジネスパートナーであり親子だからこそ築ける関係性

店頭で話す加藤オーナーとマネージャー
親子加盟ということもあり、なんでも言えるという関係が明るい雰囲気をつくるだけでなく、ひいては南青山5丁目店の快進撃を支えている

そうして、オーナー募集説明会への参加などのステップを踏み、2017年7月にオープンした「セブン-イレブン南青山5丁目店」。加藤親子の地元・埼玉を離れ、東京都内の一等地で開業を希望したのにはある理由がありました。

(智彦オーナー)「派遣で働いていたセブン-イレブンが都内だったんですが、埼玉の店舗とは比にならないほど忙しくて。レジ対応の早さに自信があったのに、ある店舗で一緒に働いたスタッフがみんなすごいんですよ。ほんと、世界観が変わるくらい。その忙しさがよけいに楽しくって、オーナーになって出店するなら、絶対に都内にするぞって決めていました」

オープン当時の智彦の年齢は24歳。順当に大学を卒業していれば、まだ社会人2年目の彼にとって、コンビニオーナーとして経営者になるということに不安はなかったのでしょうか?

(智彦オーナー)「オープンのときもそうですが、不安は一切なかったですね。ずっとセブン-イレブンでアルバイトをしてきただけではなく、コンビニ経営を見据えてさまざまな店舗で店舗運営を学ぶなど、やれることはやってきたので」

そうしてオープン当日を迎えると、二人の想像を超える嬉しいできごとが起こるのです。

(智彦オーナー)「オープンの日は朝からそんなに並ぶ人はいないって予想していたんですが、朝7時のオープン前にたくさんのお客さんが外で待っていて、こんなに待ってくれてるんだ。こんなに待ち望んでくれてたんだって実感しました。オープンの瞬間、扉を開けたのは一生の思い出です。死ぬまで忘れないですね」

多くの方がセブン-イレブンのオープンを待ち望んでいたことに感動するとともに、これからは「オーナー」という立場で店舗を運営していくと、決意を新たにした瞬間でもあったという智彦。

一方で、母親の邦子は「多少の不安があった」と、当時のことを回想します。

(邦子マネージャー)「私はパートで働いていただけなので……。以前とは仕事内容がまったく違うので大変でしたね。でも、息子についていけばいいのかなって。何か分からないことがあったら、息子に聞けばいいやって感じで、いい意味で少し楽観的に考えるようにしています」

(智彦オーナー)「なんだかんだ意見がぶつかることもありますし、ことあるごとに連絡も来ますし。ときには『なんで、わからないんだ?』って思うこともありますが、それはお互いさまですからね(笑)。この間なんて、売上が良くて嬉しかったみたいで、『いま、売上いくらだと思う?』って聞かれて、答えたら『ブー!』って言われましたね(笑)」

このように、自然体で背中を預けあう関係性でいられるのは、ビジネスパートナーである前にふたりが親子だからなのかもしれません。

オーナーとマネージャーを囲むスタッフ

セブン-イレブンで働くことで、仕事の『楽しさ』や『深さ』などに触れ、それを糧としてきた智彦。世間では「コンビニオーナーは休みがない」「しんどい」などというイメージが絶えないのも事実ですが、彼自身、それを踏まえて「楽しいことのほうが圧倒的に多い」と感じています。それを実感できるのは、これまでの経験はもちろん、それ以上に努力をしてきたからではないでしょうか。

セブン‐イレブンを開業させたときに、母である邦子を巻き込んで親子二人三脚で駆け抜けてきた智彦。2年後には2店舗目、10年後には3店舗目のオープンを見据えるなど、夢でもある多店舗経営に向け、今度は仲間を巻き込んで一歩ずつ前進していきます。


セブンで知った仕事の楽しみと奥深さ! 複数店を目指して親子で歩むコンビニ経営(2018.8.5公開)
※掲載情報は取材当時のものです。



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