2015-03-13 小説で起業ノウハウを学ぶ!FCビジネス起業物語
フランチャイズ研究会 中小企業診断士
木村 壮太郎 |
フランチャイズ研究会執筆『元教師が家族とともにフランチャイズで悲願の学習塾開業』
元教師の教育への未練と葛藤
起業物語の登場人物
山川明男(42歳):東京都郊外の一軒家に住む、教育系出版社勤務のサラリーマン。パート勤めの妻、孝子(40歳)と中学2年生の息子、学(14歳)との3人暮らし。子供が好きで、昔は公立中学校の英語教師だったが、赴任した学校の環境が悪く退職。出版社に転職し、最近では教育関係のアプリの企画にも関わっているが、息子の将来への不安や、子供の教育への未練が残っている。
「やっぱり自分には、実際に現場で子供の教育に関わる方が性に合っているよ。」
明男は昔教師を辞めたことを後悔していた。
元々明男は公立中学校で英語を教えていた。昔から子供が好きで、子供の教育に関わりたいという思いから大学を卒業後教師になった。
しかし、赴任した中学校は地元でもあまり学力が高くなく、生徒の学習意欲も低かった。いわゆる“荒れた学校”で、言うことを聞かない生徒が多く、現場の他の教師達も生徒や保護者への対応で疲弊していた。
典型的な『学級崩壊』のような状況ではあったが、何とかしたいとがむしゃらに打てる手は打っていた。しかし、全てが空回りで、何も変えることはできなかった。むしろ学校の環境は悪化していくばかりだった・・・。
子供に勉強を教えること自体は変わらず好きだったが、悪化する職場の環境に次第に精神的に参ってきて、いつしか不眠といった症状も出てくるようになった。異変を察した親からの「何より我が身を大切にして欲しい」という懇願や、生徒への生活指導という点では自分の力量や指導力に限界を感じていたのもあり、ついに退職を決めた。
とはいえ、教育には関わり続けていたいという思いもあり、未練もあったので、教育系の出版社に転職することにした。もう今から十年以上前のことだ。
転職した出版社では学習系教材や参考書を中心に出版していたが、近年ではインターネットやスマートフォン・タブレットの普及が進んだので、教育に関係のあるアプリやゲームも取り扱うようになった。明男はそういったアプリやゲームの企画部署に三年ほど前に異動となり、それらの企画を中心に行っていた。
企画を考えるにあたって、明男は色々な学校や塾を視察したり、現場の先生や子供、保護者の意見を聞いたりする機会が増加していった。直接現場の声を聞いて、企画に反映していくということが多かった。
しかし、この仕事について明男にはいまひとつ満足できない思いがあった。アプリやゲームを通じて教育に関わっているとは言っても、やはり教師を目指した時の「直接子供に関わり、子供の成長を実感できる仕事をしたい」という思いは満たされなかった。色々な学校、塾の関係者と接しながら、明男は「本当は自分も教育の現場にいたはずなのに」という未練のような思いを度々自覚していた。
また、明男が企画に携わったアプリは好評で、一定のヒット作にもなったのではあるが、他に懸念点もあった。息子の学が、スマートフォンばかり見て、実際の勉強をあまりしなくなってしまったのである。元々は自分の会社や、他の会社も含めて勉強に役立つアプリを使うということがメインで学にスマートフォンを持たせたのに、最近ではゲームばかりしているようだ。
さらに、家族団らんの時間も歩いている時も、いつもWEBサイトばかり見ている。『スマートフォン中毒』という言葉があるが、自分の息子もまさに中毒のような状態だった。しかも自分が企画したゲームがきっかけとは・・・。学校の成績も下降気味だった。
本来なら、教育者として子供にも手本となる姿を示してあげられたらよかったのかもしれない。時々でも、学に勉強を教えてあげたりできればよかったのだが、仕事の忙しさを言い訳にして、学の教育や躾に関わりが薄くなってしまっていた。
学が勉強しなくなってゲームにはまったのは、親であり、ゲームの企画者でもある自分の責任でもある、と明男は自分を責める心境になったりもした。
町を歩いていると色々な塾が目につき、自分自身がやりたかった教育の道を再び思い出すようになった。公立の学校なら赴任先の当たり外れもあるけど、塾なら積極的に学びたいという子供達も多いはずだ、と思い、できれば子供達の顔が見える、教育の現場にもう一度携わりたいと思うようになった。
しかし、例えばどこかの塾で講師として勤務するだけではどうなのかと思った。年齢的にも立場的にも不安定だし、ただ講師として指導するだけでは物足りないなという思いがあった。
というのも、明男は教師時代、荒れた学校であっても生徒達と向き合い、対話を重ねることが好きだった。荒れていても、そういった明男の姿勢を慕ってくれる生徒達もいたのである。子供達の勉強だけでなく、精神面や道徳面でも子供達を大きく見守り、育てたいという目標があった。
また、明男は生まれて今まで、今住んでいる地域で育ち、家庭まで築いてきた。地域のお祭りや行事にも積極的に運営に関わり、子供達や保護者達とも顔見知りが多かった。教育の現場を通じて、地域の子供の教育に関わっていきたいという夢があった。もちろん、学にも教育者として、よき父親として見本になってあげたいという思いもあった。
さらに、明男は教育ゲームやアプリの企画でリーダーの役割を果たしていたので、自らの意思やリーダーシップで、主導的に物事を動かしていくことに喜びを感じていたし、雇われ教師だった若い頃よりも指導者としての力はついているはずだという自信があった。
そのような思いから、もし教育の現場仕事をやるなら、どこかの塾に勤めるだけよりも、できれば自分の塾を開いて、塾長として自ら積極的に地域に密着した教育をしていきたいという思いもあったので、独立して塾を開業してみたいという思いの方が強かった。